コージの海外バレー放浪記(Koji's Overseas Volleyball Wandering)

還暦を前に海外で奮闘するオヤジ物語!!

地球の歩き方・NZ編(2009/7/23)

2006 0162006 039

第3回 私の仕事
2008.03.17
ニュージーランドでの生活も1カ月が経ち、新しい環境にも慣れてきました
本職のクラブチーム監督業も順調に進むようになり、その上、各学校のバレークラブへのコーチング、地域レクリエーションバレーにも呼ばれるようにもなりました。しかし、すべてボランティアです。

すべて無償労働でしたが、常に勝敗に左右されるコーチングしか行ってこなかった私にとって、このボランティアの経験はとても貴重なものとなりました。ニュージーランドで子供たちにバレーボールの特性、楽しさを伝えるためには? 興味を持たせるには? と、頭の中のコーチング教科書を作り直す日々が続いたものです。
違う角度からバレーを観察でき、この期間は非常に充実した日々を送っていました。

ですが、ボランティアだけでは生活は困難です。何か仕事を・・・と考えているときに、協会理事長から
「スポーツ・ワイカト」の採用試験を受けてみるよう勧められました。

スポーツ・ワイカトは、ニュージーランド8つの地区に拠点を置く、政府と地方自治体運営の体育協会です。ワイカトのほかに、オークランドやウエリントンなどにも存在し、ニュージーランドの各主要都市に協会があります。

仕事内容はスポーツの運営や普及、強化のほかに、学校体育指導、栄養学指導、レクリエーション指導など、学生や一般市民にプロフェッショナルなスポーツ支援を行うものです。プロですから、趣味程度の技術、指導内容、知識では一般市民も困ります。ですから、採用試験は必然とハードルが高くなります。

しかし、採用試験が難しいト知りながらも「俺がニュージーランドに住むために準備されたような仕事だな!」
と、内心ニヤッとした私がいたのでした。

筆記試験当日「専門分野におけるマネージメント」の題で、さまざまな質問が出題されました。ほとんどの受験者は45分程度で終了したようですが、私の場合、英単語のチェックや文法確認に手間取り、結局2時間も掛かってしまいました。こんなときに、英語をしゃべれない人は不利ですね。
そこにはもう、ニヤッとした私の姿はありませんでした。

面接試験では、バレー協会理事長から質問内容の用紙をこっそり渡されました。とてもありがたかったのですが、当日渡されても困ります。しかも面接試験の10分前。

面接官は、スポーツ・ワイカトから3名。バレー協会から2名。スポンサー側から1名の計6名。緊張しまくりました。筆記試験は辞書が助けてくれましたが、面接では誰も助けてくれません。

キーウィ特有の和やかな雰囲気で面接がスタートしまし。心配したヒアリングも大丈夫。それもそのはず、事前に渡されたカンニングペーパーが効力を発揮していましたからね。しかし、その和やかな雰囲気に、逆に私のリズムを乱されました。会話の途中にジョークが入って、何を質問しているのか理解できなくなったのです。

私は動揺してしまいました。そしてその後、最初はチラチラ覗いていたカンニングペーパーを、堂々と面接官の前で覗き込んでいる私がいました。

ドタバタ劇の採用試験でしたが、3日後にアジア人初のスポーツワイカト・スタッフが誕生しました。私のことです。担当部署は「バレーボール・ディベロプメント・オフィス」。学校のバレー授業をはじめ、障害者へのバレー教室、社会人のレクリエーションバレー指導や協会主催大会前のバレー教室など、バレーに携わるものはすべてです。また、普及、強化のための指導者講習会、審判講習会開催も、私の仕事となりました。

私の相方のケニーは、ハミルトン・バレークラブの選手でもあります。チームでは監督と選手。会社では上司と部下の関係ですが、社内ではベストコンビと評判です。

バレーボール支援の依頼があれば、ワイカト内どこへでも行きます。最初ネット張りにも悪戦苦闘していましたが、今では余裕が出てきて一人でも簡単にできるようになりました。

自己紹介で「バレーボールはニュージーランドで一番の人気スポーツです」という挨拶に、子供らは爆笑します。その後、授業中彼らの笑顔が絶えることはありません。常に話しかけ、プレーを褒め、バレーに興味を持たせるように勤めています。私がコーチングすることにより、バレーに興味を持った子供が、ナショナルチームに入る人材に育ってくれるるかもしれません。


バレーボールはニュージーランドで、発展途上のスポーツなので、進化する可能性を大きく秘めています。


10年後はバレー人口が増え、20年後はオリンピックを目指す。
この夢を、ニュージーランド全域に広めていきたいものですね。