コージの海外バレー放浪記(Koji's Overseas Volleyball Wandering)

還暦を前に海外で奮闘するオヤジ物語!!

地球の歩き方・NZ編(20009/7/23)

DSC01906第5回 ニュージーランドの大会あれこれ
2008.03.31
40年前に、私と同じ志を持ったコーチがいました
4月12日より、いよいよリーグ戦がスタートします。昨年は連敗に続く連敗。せめてホームで行われる試合は勝ち星を挙げたいものですが、前回のコラムで報告しましたように、チームは戦力ダウン! 今期も苦戦が予想され、また苦悩の日が続くことは間違いなさそうです。しかし、「苦悩の日々」がニュージーランド・バレーの向上に繋がるのであれば、これ以上に喜ばしいことはありませんね。

そんな私の願い、「ニュージーランド・バレーのレベルアップ」と同じ志を持ってこの地を踏んだ人が、なんと、40年前にもいました。名前はベネチェック。彼はチェコスロバキアからの移民だったそうです。実は、22年前上海で開催されたバレー・アジア選手権で、私はこのベネチェック氏と会っているのです。

当時の彼は、ニュージーランド女子ナショナルチームの監督でした。身長2メートル、体重約120キロの大男。そして、束ねた長髪に長い髭と一度会ったら忘れられない顔でした。そんな大きすぎる体型ですから、小柄なニュージーランド選手たち(当時はみんな小さかった)が、余計に小さく見えた記憶が残っています。

ニュージーランドでは、マイナースポーツのバレーと何度も説明してきましたが、30年前はベネチェック氏の働きにより、テレビ局がスポンサーに付くほど人気スポーツに上り詰めそうです。彼と会った20年前はニュージーランド・バレーの絶頂だったのではないでしょうか! しかし、バレー協会はベネチェック氏を監督から外しました。その理由につきましては、さまざまな憶測が流れているのですが、ここでは割愛させていただきます。
ともあれ、その後、ニュージーランド・バレー界は低迷をたどり今日に至っているわけです。

「ベネチェック知っているよ!」というと、往年のバレー関係者は喜びます。ベネチェック氏がニュージーランド・バレー界に残した功績は大きかったのでしょうね。体も大きかったけど存在も大きかった。そんな彼ですが、5年前オークランドの自宅で亡くなられたそうです。そして、バレー協会は彼の功績を称え4月からの開幕リーグ戦を「ベネチェック・カップ」と名付けました。

「ベネチェック・カップ」が終了する8月末には「ニュージーランド・ナショナル」が開催されます。日本でいうところのVリーグ。その年の国内チャンピオンを決める大会ですので、どこのチームも全力で挑んできます。

ハミルトンチームは昨年初出場にして、いきなり前年度優勝チームのグループに入ってしまいました。おまけにその直前に行われた「ベネチェック・カップ」ではこのチームに3連敗。今回も?? しかし、勝負とは分からないものです。なんと、このチームに3-0で勝ってしまいました。

その後、快進撃が続きます。が、大事な準決勝でコケ、終わってみれば23チーム中7位。
まぁ、初出場にしては上出来でしょう。

シニア・シーズンは北島エリアと中部エリア、南島エリアの3つの地域で分けられ、ニュージーランド・トップクラスの選手たちにより競われます。期間は3月から8月。毎週土曜日には試合が数試合組まれているので、練習も厳しいものになってきます。この時期、選手たちにとってはハードでしょうね。

一方、ワイカト協会主催の市民大会は年間を通して7週間サイクルで行われます。レクリエーションとしては人気の高いバレーですから、この市民大会には、職場や愛好会、友人で作るチームが参加し、約30チームを越えるエントリーがあります。また、試合の合間に初心者のためのバレースクールも開校しています。講師は私です。

日本の文部省が持つ「バレーは生涯スポーツ」という発想は、海外でも通用することを認識している次第です。

マイナースポーツのバレーボールですが、シーズンが短いため必然的に試合数は多く、一旦シーズンが開幕するとハードな日が続きます。しかし、選手たちはバレーが好きなのです。楽しんでいるのです。

いよいよ始まる「ベネチェック・カップ」。同じ外国人監督として、彼の名に恥じぬように頑張ります! 私は、ベネチェック氏のように名前が残せるでしょうか? それは、私の頑張り次第ですね。 20年後、いや30年後にもしかしたら、「コージ・カップ」という大会が行われるかもしれませんね!
その時は、皆さんも奮って大会に参加してください。

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